このショートフィルム、すごく気に入ってしまいました。
盲目の老人が「私は目が見えません、どうか助けてやってください」とあちらでは日常である光景でダンボールサインを置いてその日の糧を通り過ぎる人々から恵んでもらっているシーンです。
しかしなかなかお金を落として行ってくれる人がいません。
そんな中でもほんのちょっとのペニーを投げ入れてくれる人に手を振る老人、とそこへ一人の女性が通りかかりそのまま過ぎ去っていこうとしたところ・・・ふと、足を止め彼のサインボードを見ます。
そして彼女はそのダンボールにかかれた言葉を書き換えてしまいます。 老人はそのあいだ彼女の存在を立ち止まった足元の靴を手で触れて確認します。
彼女は何も言わずそのまま書き換えたボードを老人の横に置き去っていってしまいます。
そこから老人に多くの行き交う人が小銭を落として行ってくれだします。
何事が起きたかまったく彼には分かりません、がしかしあの女性の書き換えて置いていったサインボードのおかげだということはハッキリ感じています。
その後また先程のボードを書き換えた女性が老人の前を通ります。 彼女は老人の前にくると立ち止まってその後の様子をみます。 老人はまた立ち止まったその人物が先程の女性だと確認し彼女に問いかけます。
「あなたは私のサインボードになにをしたのでしょうか?」
女性は微笑んで答えます
「私はあなたのボードに別の言葉をかいただけ」
老人はお礼をいいます
「色々とありがとうございました」
女性はそのまま立ち去っていきます。
立ち去っていく女性に対して老人の横にあった彼女の書き換えたボードが見えてきます。
そこに書かれていたのは・・・・
「とても素晴らし日なのに、それを私は見られない」
こういう短いあいだに、しっかり物事を伝えることのできる映像を作れる人は素晴らしいです。
2 件のコメント:
感心しました。ちょっといい話ですね。直接な表現よりも、ひねりを利かせた表現が有効。という主張なんですな。ひねりの分だけ、曖昧になった表現にヒトは立ち止まる。
いずれにせよ、盲の老人が直接な言葉を書かない限りこの話は始まらない。
最初の言葉を書いたヒトにも拍手です。
いろいろなヒトの手によって表現は磨かれてゆくのでしょうか。
野良通信様へ
視聴していただき有難うございます。
言葉ひとつで人の心が動く。 人類をここまで進化させた大きな力のひとつが「言葉」と感じました。
ホモサピエンスとかネアンデルタール人とか色々といて、そんな人類の今の種となるものの他にも同じような猿人がいたのに、我々がここまで絶滅せずにきたその分け目が、今わかっている考古学の説では「言葉」だったそうです。
ちょっとした頭蓋骨の形の違いで声帯のあたりが変わり、それによって現在の我々よりも発声する言葉が少なく、それによってグループ間でのコミュニケーションの伝達率が悪くその猿人の種は滅んでしまった。 しかしそこがまったく変わって、今の我々の祖先は頭部頭蓋骨の形が今の様な感じで、声帯あたりが広く取れ、そこのところもっと詳細に情報を伝達できたのだそうです。
そこからも言葉がかなり重要なものを占めていると言われています。
ほんのちょっとした事、ほんの数センチほどがゼロか1かのYの字の道を選択させられるのを知ると・・・そして基本今の我々になるまでその選択がどれも間違いなくパーフェクトできているのがすごいミラクルな事だとも言えなくないとも・・・。
勿論ここから現在地球の環境破壊とか言われたりしていますが、過去の事柄をよく理解すると、我々もまたその通過地点のたった数センチぐらいのもので、ここから我々がぶっこわしていく今の環境もまた後の君臨する生命にとってパーフェクトな選択の一つの出来事だったという事でもありますねぇ。
と・・・なんの話でしょうかねぇこれって(^^; 大脱線!
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