3月22日木曜日
今週はじめに隣の市の高校へ合格発表の状況を撮影しにいく仕事がありました。
で・・・実際に現場にいると、ヒゲの合格発表を思い出しましたが・・・まぁヒゲですから第一志望校は・・・「落ちやした」(-_-;)
でもこの第一志望は本当に自分で行きたい所でなく、機械科だったかな? ヒゲは電子科に行きたくてねぇ・・・当時まだかなり珍しいパソコン関係を勉強したかったのです。 当時はOSなんてありませんから、コボル・フォートラン・ベーシック・マシン語とかそこらを勉強しないとパソコンはただの箱だったのですよ。 今じゃ考えられませんねぇ・・・だからインベーダーゲームが出た時だしヒゲはそれのプログラムを授業中に書いて、学校終わったら電気屋にいってそこのマイコン(当時はパソコンとは言わなかった)シャープのMZ80を使わせてもらって日が落ちるまで家に帰らなかったという。
そんな事してたらそこでパソコン関係で知り合うよその学校の人に出会ってねぇ、友達になって・・そこらの人・・・みんな今は重役さんですよ(^^;)
なもんで・・・私立の電子科になり、そこで楽しい高校生活を送りましたが・・・ふとそれとは関係ない事を今朝思い出してしまいました。
それは・・・学園祭・・・ヒゲのいたクラスは中学も高校もちょっと変わった人が多かったのかも・・・
言えば、当時の中学生ではやってなかった、誰も考えなかった事をチャレンジャーだったのですねぇ・・・PTAとか教員の目を気にせずやりきったのが多かったです。
例えば中学校では、その当時ヒゲが3年生のころの音楽発表会・・・これ課題曲ってやるのですが、あとは自由曲・・・その時に普通その頃は音楽発表会と言えば真面目な教科書の面白くもなんともない曲ばかり歌って、あまりにお約束です。(意味はわかると思います)
ところが・・・ヒゲ達は・・・教科書にもまだ当時載ってない、誰もやったことなどない「ビートルズ」を演奏歌ったのですねぇ。 音楽の先生も変わった人だったのですっごく熱烈に協力してくれて、その先生のおかげかな、力あったひとだったし、この企画潰されなかったのは・・・でもやるとなると本気でやらされてそれは厳しいレッスンでした。 クラスでほんまにがんばったというのはこれだよなぁーと思いましたですよ。
やった事がない禁じ手みたいな、今までの学校のルールを破るようなものでしたから。 発表会でエレキギターにドラムセット組んできたのは我々だけですよ。 で勿論すごい反響でアンコールあったし、ロックとバラード、ヘルプ・ヘイジュード・・・そして最優秀もらって学校トップに!
そこから次の年には後輩たちが同じようにポップスやロックを歌うようになったようで。 我々はその先人を切りましたねぇ。
そしてその最後の3年生の学園祭では・・・当時はまだVHSやベーターがやっと出てきだした頃・・レンタル屋なんてありえない世界です。 そこでなんとヒゲのチームはなにをやったか・・・
はい! 映画上映したのです・・・それも・・・・今ではなんでもないかもですが、これも当時では考えられないもの・・・・「スターウォーズ」だったのですよ。スターウォーズを見るとなるとテレビでしかないですが、まだ当時はTVではやってません・・・だって映画がその頃だったしね。
それがね、アメリカにいた友達が8mmフィルム持ってたのよ・・・ショートだけれど30分ぐらいのもので、ファルコン号がデススターに捕まってしまうところまで。
それを映写機かりて、余興は「マジンガーZ」(爆笑) でメインはスターウォーズ・・・
さてこれで学園祭はじまりました・・・・我々の上映プログラムは皆にわたっています・・・お客様はどのぐらいくるのか・・・・こんな事やった中学生っていないんじゃない当時は(^^;) 今じゃ著作権問題で大変だわな・・・いや当時もそうだけれど、まぁゆるやかな時代だったのですよ。
そして我々の教室映画館は・・・・ひ・・・人が・・・は、はいりきれん!! ほとんどの人がきてたんじゃないの?ぐらい大反響で俺らもおったまげましたよ。
2回上映しましたが・・・もうどちらもダメ・・・・教室満員・・・・マジンガーZはさすがにどうでもいい感じで(^^;) それは10分ぐらい・・・しかしスターウォーズが始まると本物ですからねぇ・・・大人も学生も最後の上映なんてさっき見た人もきていて廊下にも溢れているという・・・字幕は有りで画面も綺麗だし当時でも今のホームシアターぐらいの巨大なスクリーンですよ。
こんな感じでヒゲのチームやクラスは今までやってなかったこと、やっちゃぁいけないのかな?みたいな物事にチャレンジしていってましたよ。 だから今思い返しても楽しい学生生活でした。
そしてそのまま変人なオヤジで今もいるわけですねぇ・・・(^^;) 企画立案が実は非常に得意なのかも(^^;)。 で、本当はそれを実行するときはそれを上手くこなす人を集める・・・そういうのがヒゲはうまいのかもしれないなぁ・・・
だから映画の学校いってもヒゲはディレクター志望だったのですねぇ。 それか自分でやってしまえるカメラの担当で自分で撮影して自分でつくってしまえ!・・・と。
類似の友という言葉は真理だと思いますが・・・それをそうすると・・・ヒゲは現在孤独だわ・・・同じような熱意がある人がまわりにまったくいない・・・ただやってみたかっただけで、そこまでやろうとは思わないとか・・・そんな考えの人が多過ぎて・・・だから一人っつぱしっている感じですよ・・・音楽の演奏もそう、CGもそう、動画もそう・・・撮影の仕事もそう・・・けれどこれらよぉ〜くみると・・・全部映画作りに切ってもきれないものばかり・・・
やはり根底はムービーが自分にはあるのだろうなぁ・・・熱い人間がほんと少なくなってしまった今の日本・・・・淋しいなぁ・・・・
2 件のコメント:
懐かしいですねぇ。MZ-80B最初に買ったヤツですよ。やりすぎて肺炎になって入院しました。その後買ったMZ-2500はまだ現役です。
模型グライダーの設計に使ってます。
植本様へ
なんとMZを知ってらっしゃるとは!
まして購入されていたなんて・・・高くて当時中学生だったヒゲには無理でしたよ。(^^;)
今でも使われているなんて・・・すごいですねぇ。
当時はこのMZとコモドーラのペット、そして多分植本様はご存知だったと思いますが、アップルのアップル2も使って遊んでました。(^^;)
懐かしい時代ですねぇ。
コメントを投稿