5月10日Vol.03 ん~これをここで掲載するかどうか迷ったが・・・まっ・・・いいやっ! って事で。(^^;;(相変わらずeasygoingなヒゲだす)
ある人から見れば「中二病的な」となるし、ある人から見れば「Insane」でもあるし・・・でもまぁ、以前から見てみたかった映画なのでした。
これはNeal D Walshが執筆した本「Conversation with God」の映画でした。 この本は日本では「神との対話」だったかな・・・でシリーズになっていて日本語訳でも出版されている。 もちろん読んだことはない(なんちゃそれ!(^^;;ニールさんごめん)
この映画を見ていて、ニール本人が神さんと対話してサクセスしていくまでの話だが、まぁ・・・普通から考えれば「いかれとる」になりますし、まさしく「中二病」と巷で言われる症状なわけでして・・・まぁヒゲはその素質十分あって、いやそれよりも重症といえるが・・・(なら社会で生きるなぁー危険じゃん・・・)
なんだか自分が短かったが2年弱カナダで生きてきた軌跡を少し垣間見ているようだった。 ヒゲはもちろん神さんの声をこのニールみたいに直接聴いたことはない(と思う)、だが・・・あ~あれはサインだったんだーと強く感じる事は今もしっかりもっている。(これが中二病だっちゅーに・・・って?(^^;;)
しかし、神さんのサインって確実にみーんなに毎日休まず注がれている、これは確実だ! だが、それに耳を傾けるか向けないかだけではないかと。 で、じゃぁそのサインってどう具体的にくるの?と言われると・・・・そりゃぁこれもハッキリ言えるのが「人の数だけありまするぅ~」としか言いようが無い。
ただ、ヒゲが言いたいのは「別にキリスト教であろうがなかろうが」「仏教徒であろうがなかろうが」「創価学会であろうがなかろうが」ましてオーム真理教であっても・・・現在61億近い人間一人ひとりに「決して放れることなく、そして決してそのあなたを見捨てない神さん」がいつも一緒にそばにいるって事だけなのだった。
このニールさんの様にサクセスしている人、神さんからの助けがある人の話は多々聞くし、その話を聴くと嬉しくなるのでした。
かなり昔、まだCDとかではないレコードの時代、ある日本の小さなショップがオリジナルのギターを製作し、それをアメリカに売りにいこうと数人しかいない社員の一人の男性が任命され、英語もヒゲレベルみたいで、資金がそんなにない会社なものだから、社員からみんなでお金を出し合って旅費と滞在費をだし、そして男性社員は渡米・・・しかしそのギターは売れない、セールスしにいった会社などまったく相手にしてくれない、とうとう資金もそこをつき、みんなに経過報告するのにどういえばよいのか迷い(アポもまったくとれないしね)、とうとう最後にはその男性は、向かった会社の社員が行きかう廊下で土下座して「お願いです話しだけでも聞いてください」と言ったそうです。
でも誰も相手にしてくれない・・・もう手立てが断たれて男性社員は一人ニューヨークのセントラルパークに行き、夕方付近ひとりそのギターを片手にベンチに座って肩を落としていたそうです。 もう資金もそこをつき滞在費もない・・・・夕日を見ながら挫折感いっぱいでしかたなかったと仰られていました。 すると、そこへ一人の白人の老紳士が彼の隣のベンチに座り彼に話しかけてきたのです、「どうしたんですか」と、ちょっとうる覚えですが確かその白人は日本語で声をかけたそうです。 男性は思わずその白人の老紳士に泣き倒れたそうです。
老紳士は詳しい事情を聞く前に「ここは冷えるから我が家においで」と彼を誘って自宅に招き、そして奥さんが迎えてくれて彼女を通して彼の事情を色々と知ったのでした。 なんとそこの奥さんは日本語学校で勉強した白人の女性で、それで老紳士は少し日本語を知っていたと言う事なんです。 そしてセントラルパークで座っていた彼をみて日本人だと思って話しかけたという事だったのですね。
ここから、彼は滞在費ないことやギターの事などを言うと、奥さんも老紳士もアメリカでのビジネスの仕方が間違っている事やそのやりかた、そして滞在は老紳士の家、ここで暮らせばいいこと、そして言葉をまずしっかりしようと言う事で奥さんと二人で協力して英語力を身につけてくれて行き、彼はしっかりある会社にギターの売り込みに成功し日本に戻ったのです。
ヒゲはこれをラジオからたまたま聞いて、あ~この人も助けてもらっている、おっ、そんな所俺と同じジャン!なんて思いながら、そんな神さんの御手を見ると嬉しくてしかたないのでした。(でもこの時はヒゲ洗礼も受けてないしクリスチャンでもない) ただ、ハッキリ「みんなに平等にこれらの事がある」とだけは確信していました。
ただねぇ・・・・これってある意味日本で昔からいう「人事を尽くして天命を待つ」という感じなのです。 やれることを全部やって、もうそれ以上は今の自分では無理・・・となったときに・・・はじめてくるような感じでした。 この話の男性もヒゲもそしてニールさんも同じ感じがします。
これと同じ事を実はヒゲはたまたま「ミサワホーム」ってあるでしょ、家作りの会社、あそこの社長さんからこれとまったく同じ社長の体験談(まだ社長でないころの話)を直接彼から聞いたことがあるのです。 この時も聞いていて嬉しかったですねぇ・・・ミサワホームの社長という地位ではなく、同じ神さんを信じる者みたいな感じがあってそれも嬉しかった。
だから、後はそれを受け入れられるかと言う事と、「感謝」する事でしょうねぇ。
ちなみにヒゲは、そりゃぁ~もうセントラルパークとはいきませんでしが、イングリッシュベイのドックで一人誰にも見れらないように泣きました・・・・今の自分のこの地球の裏側では日本での友達やら知り合いやらがいつもの雰囲気で楽しくやっているんだろうなぁ・・・と考えたら余計に涙でてきてねぇ・・・英語もThis is a penぐらいしか本当に言えないこんな日本人がここで働くなんて土台無理な話だったんだと考えたら悔しさと情けなさからボロボロ涙がでるんですわほんまに・・・・
普通に旅行等できている日本人や留学生はカナダ人をバカにしたり、食い物まずーっ!とか言いながら友達通し毎日ダウンタウンぶらぶらして消化する毎日なのに、なんで俺はこんなところまできて英語出来ない事で初めて行った仕事ばで英語のことで怒鳴られて惨めな思いしここにいるんだろう・・・となるわけです。
ほんまに辛かったなぁ~あの時は・・・・あの辛さは日本で若い頃いくところがなく友達の所に転がり込んで居候し、住所不定的な感じで金もなく日々暮らしていた時よりも数百倍辛かった。
だって、周りは異文化で言葉通じないし、金ないし・・・・たまたまその期間2ヶ月ぐらい日本人のここで知り合った友達だれもいなくなっていて(引越しとか旅行で連絡がつけられない)、だからこの2ヶ月間は一切日本語が口から出なかった・・・起きてもなにしてもどこへいっても英語、英語、英語・・・とうとうギターを教えてくれていた最初のアメリカンの友達(ヒゲの父親的存在でした彼は)の彼女二人のいる前で英語で愚痴というかコンプレインを言うしかなかった・・・
でもこの時があったから、語学ゼロスタートな自分でも生き残らないと、と言う生命の根本的に持つDNAが働いたのか、喋られなかったけれど「聞くこと」が向上した時でもありました。(自分では生き残るぞ!なんて思っても無いのです、自分は凹みまくりでしたから・・・でも、ヒゲとは別のものが勝手に働いているといったらいいのでしょうか) で、怒鳴れたその仕事場には「自分の英語レベルでは到底まだ早かったから明日いってボス(社長)に辞めますと言おう」と決めたのですね。 で、一人で泣いた次の日に仕事場へいって怒鳴れた社長が現れた時・・・・思わずヒゲは「?」となったのですよ・・・・だって・・・・昨日と全然態度が変わって社長がすごく優しい態度で接してくるのです・・・・お・も・わ・ず・・・・辞めますといえませんでした・・・・そして仕事終わってボスが「それじゃぁ明日も朝6時によろしく頼むよ」と・・・・えっ? 俺いていいのここへ?となりましたよマジで。
これが一つのヒゲが思うに神さんのされる業なんでしょうねぇと・・・・こんな言葉もろくすっぽに喋られないヒゲでも、半年すぎた頃から仕入れの担当を任されて、業者がきてもボスが「彼は喋ることがちょっと出来ないが我々の言う事はほぼ分かっているから問題ない」とヒゲの横で納品業者に言ってくれているのが聞こえて無茶苦茶感謝だったのだ。
いまでもここでは語りつくせないほどの神さんの御手があって、だからこんな身よりも無い金もない言葉も出来なかった日本人が失業率11%というハードな国で行きぬけたと自身をもって言いえるのだったりする。 奇跡だったら奇跡は1回ぐらいが普通奇跡と言うが、ところが数えられんぐらい来ているわけだ・・・で、これってもう奇跡とは違うんちゃう?とね・・・・(^^;;。 言い換えれば、普通はこんな「ないないづくし」な異国の人間がここまで厳しい雇用状態の国で行きぬくなんて至難の業だといえる。 だから上記のニールさんやらそのギターの人の話が痛いほどわかるのだ。
あ~しかし・・・・ニールさんはお金持ちになったけれど・・・・ヒゲ・・・・なんで金持ちにしてくれんのだろう・・・・ずーっとお願いしてるのに・・・・・えっ?順番があるからまだだって・・・・早くしてくれぇーヒゲしぬぅ~~(なんて言ってたら来るものもこないわな・・・・アホだから・・・やっぱ中二病でした・・・・ちゃんちゃん・・・ん?このアホを治せってか・・・・そりゃぁ~ちと・・・厳しいかも(>.<) やはり死なにゃ~治らんってかね)