9月29日Vol.02
フリーになってそこそこ年月が経ちましたが、少し前から写真に対してのモチベーションがすごく下がってきたヒゲ・・・なんと言うかインパクトがないと言うか、惹きつけるものを感じなくなってきてような・・・
そうして混沌の中へ入っていっていた自分があったのですが、この8月終わりごろからでしょうか・・・いきなり何か自分の中で変化が出てきたといいますか・・・・そのきっかけを与えてくれたのがここで紹介するフォトグラファーのBill Cashさんなんです。彼のサイトはここです。
あちらでは有名な方でwikiにも載っていますが、Automobileが得意とされているようなのですが、タダ単に車を撮影しているフォトグラファーでは日本でもかなり上手い方がいらっしゃり、ヒゲもその人の作品を見ていますが、このかたのはその向うがあってインパクトがありました。
特に人物と風景をからめた絵がお気に入りで、これを見てからというもの同じ写真を仕事のしていても、こんな凄い絵を作り出す人がいる・・・・で、かたやここには腐った自分がいる・・・・となってしまって
(;^_^A アセアセ・・・
いやぁ~インスパイヤーですかねぇ・・・それからですね、写真の仕事って資格が基本的にはない、誰でもその日からフォトグラファーですと名乗れてプロですなんて言えちゃうわけです。 しかしそのぶん、こんなにピンキリな技術の差があって・・・・・
ここからいきなり自分の中で「こりゃぁあかん!」となってしまってねぇ・・・・それですこし方向性を変えてきているといった具合です。
好き嫌いがしっかりあるのは以前から書いていますが、ヒゲはこの世界感大好きで、なので日本の写真って大人しすぎといいますか、やはり色合いが「ユニクロ」の色・・・・車で言えば「トヨタカローラっぽい」、安全パイをきっている、誰にも嫌味のナイしあがり、みんなの目を伺ってしっぱいない仕上がり、自分の色はこれなんだ!とは出せない結果の絵・・・・なので街に出てもどれも同じ写真としか思えないものが並んで、写真集も個性があまり出てなくて、どことなく「こういう風に仕上げて、トーンだと芸術風・・とか、写真集っぽい・・・」という作者の意図が見えみえのような書籍が書店に山積み・・・・
カメラのブームで出てきた月刊誌も、どれも流行りかなにかで「ゆるい系」の絵ばかり・・・・みんながこぞってそれをして出版するので、とうとう目にとまらなくなってきてしまった。
女性の写真家志望の人がきてヒゲに作品をみてくれと言われて・・・拝見させていただき、ついつい出た言葉が「普通ですねぇ」だった・・・・なんだかムッとされてしまった。 そういわれたのは初めてだとも言われてしまった(ーー;) 海と空き缶・・・・空にシーガル(かもめ)、窓際にカーテンとビンと花、錆びて傾いた蛇口などなど・・・・・もうどこでも見ているような写真・・・・なんだろう・・・・インパクトがない・・・目が釘付けになるものがない・・・・
とは言え、あちらのBillさんとかJillさんとかドラガンとかDaveとか、みんなが真似してこればかりになると嫌気がさすのも同じ・・・・なんだけれど、それぞれが独特の世界感で今も邁進しているのがすごいなぁ~と。
海外の写真の世界はどこまで展開するのか、すごく興味があるが・・・自分も同じ写真を生業としているのなら、もったいない!と単純に思ったのであった・・・・おしまい。(^^;
P.S.
あ~しかし今日は我慢して昼からも食事をとったらベッドで寝ました・・・・夕方まで・・・・すると少しは舌のポリープの痛みが緩んでいるような・・・でもこうしてモニターみているとまたぶり返しているような・・・と言いますか、ポリープの痛みがなくなると、なぜか喉のこのあいだ脹れて炎症起こしていた部分が少し息を吸ったり吐いたりすることで、ほんのちょっと痛みを感じているのでした・・・あちゃ・・・・笛の練習できんやんかいなと・・・・。(>.<)
2 件のコメント:
写真を絵のように、という欲求はつまるところ、あるイメージを二次元の空間にどう表現するかの工夫のような気がします。これは絵画のたどってきた道でしょう。光線の統一、遠近の表現、など。
逆に、二次元の写真があるリアリティーをいやおうなく持つのは、そこに三次元らしい擬似リアルが見るものに見てとられるからだと言えるのではないでしょうか。
我々はいまだに「絵」も「写真」も表現としては使いこなすところまでには至っていない。言い換えれば、リアルにはほど遠い。
そんなように感じました。
野良通信様へ
そうですねぇ、そのような感じの事を昔、独学ですが学んでいた時にひとつの書籍に記されていました。
そしてそこにもうひとつ興味深い事が記されていたのが、「絵は写真と違ってどこか現実的でないところがあるからこそ絵として見られるのだ」と。
そこには例として「パースをどう崩すか」などの技法も書かれており、それは大変絵に対する世界感やとらえかたの勉強になりました。
たぶんそれらが二次元の空間の中での表現で、その技法(工夫)で絵の世界は絵の世界としていちずけられて、それがまた絵の魅力でもあるのかと感じたのでした。
そしてそれを今きっとヒゲは写真に取り入れたくて仕方ないのだと思いました。
写真はあまりにきっちりしすぎて、どうも自分には優等生でありすぎた描写なのかもしれません。
しかし写真を絵の様にそこを崩していくことは極めて困難であることにも気がつきました。 ところが、このようにドラガンやディブ、ジルさん、そしてビルさんのように柔軟な発想で写真を絵に・・・しかし敢然たる絵ではなく、写真なのだというコンセプトは捨てていない・・・・
これは今のデジタル時代になっての手法であることは確かですが、行っている技法は昔からあったもの・・・・
まだまだ写真も絵も、そして音楽もこうして完成体がないぶん、進化しつづけるのでしょう。
しかし面白いものですね、これらのエポックメイキングの写真や絵やまた音楽も(たとえばビートルズが一斉風靡したあのスタイル、ロックですね)、実は昔からのクラシック音楽で使われていた手法を取り入れていて、なにもやっていることはまったく未知のものでもなかった・・・絵も写真もこれが言えているのがとても興味深く、面白いと感じました。
新しいものは古いものからきているという図式・・・アメイジングかもです。
あと、余談ですが・・・この手のヒゲがインスパイヤーされている技法は・・・実は昔から「映画」の世界で作られて使用されていたのです。
HDRと言うハイコントラストの世界、これもまさしく映画には無くてはならなかった技法。 フィルムの特性上、そのラチュチュードが狭いぶん、スクリーンでの世界での表現が狭まる、しかし人間が頭に描くイメージは全部がそうでない・・・いい所取りした身勝手なイメージがあるのですね。
そこを補ったのがHDRという手法で随分前から映画では使われてきました。 実は映画のフィルム世界のほうが、写真の世界よりも何十年も先をいっているといって良い位進歩しているのです。
そして、この映画は日本では考えられないぐらい欧米ではトップのエンターティメントで、毎週映画が出来上がるのです。(これは私があちらで生活していたのでそれを見てきました) よってあちらでは映画は国民のスポーツ観戦に続く娯楽のひとつで、それは今も揺ぎ無い地位があり、それで大きなビジネスになるので、ドンドンこの世界は発達しているのですね。
そこに写真の世界がPCを取り入れて、デジカメになり、やっとこさこの映画のフィルムのテクノロジーを取り入れだしたわけです。 写真の世界ってかなり時代錯誤あったようですねぇ。
そしてこのへんからも、今のデジタル化によってとても有利なのが欧米だというのが図式で明らかなのですね。
日本がもっとエンターティメントのこの分野に力を入れていればそうではなかったと思いますが、この国は映画の娯楽は下火に、デジタル化になっても加工を美徳しない傾向が根強く、フォトグラファーの多くが「アンシャープとレベル補正のみで他はいじってません」などとわざわざコメントに添えて作品をだすぐらいです。
故に、ちょっとした発想をピックアップされたアーティストは、どうしても欧米に渡って活動をしてしまうのですねぇ・・・・悪循環です。
おっと、すみませんまた長く書いてしまいました。(>.<)
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